真宗大谷派における女性住職のことについて
ツイッターで小川寛大(OGAWA Kandai@grossherzigkeit)さんが「日本仏教にて尼僧さんの地位が目に見えて向上した契機は、戦争であった。多くの日本仏教は明治維新期から「国家への協力」を惜しまなかったので、日本軍には従軍僧がいたし、かつての欧州各国の侵略の先棒を担いだキリスト教宣教師よろしく、多くの坊さんが大陸に渡り、頭数が足りなくなったのである。」(https://twitter.com/grossherzigkeit/status/523756671550500864)という指摘をされている。これは、真宗大谷派において、事実であると考えて差し支えないように思う。以前もツイッターにて、「女性住職の道が開かれるまで」ということで連続ツイートしたことがあった。もう一度、宗派外の条約等も含めながら、まとめることを思いついた。私がここ数年で作成した資料からの抜粋である。*太文字が宗派内での出来事
1942年2月16日:女子の得度を許可する。
*ただし、「教師試験検定合格者に限る」という条件がついていたとされる。
1967年11月7日:国際連合第22回総会で、女性に対する差別撤廃宣言が採択される。
1975年:第1回世界女性会議がメキシコで開催される。
1979年12月18日:国際連合の第34回総会で、「女性差別撤廃条約」(女性に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する条例)が採択される。
1983年:坊守会連盟から女性住職に関する要望書が宗務総長に提出される。
1985年6月24日:「女性差別撤廃条約」に批准する。
1986年12月:「真宗大谷派における女性差別を考えるおんなたちの会」が発足する。女性僧侶・坊守・女性宗務役員・学生らにより「真宗大谷派における女性差別を考える女たちの会」が結成される。
1990年:宗議会で女性住職就任を1年以内に実現する事が宗務総長より表明される。
1991年6月30日:「寺院教会条例」改正で寺格制度が撤廃される。同時に女性住職への道が開かれる
*ただし、条文には「男子である教師がいないときは」とあり、あくまでも男性が住職になるのが本来で、女性は男性の後継者がいない時の特例措置という位置づけになる事が後に問題視される。
1992年3月28日:初の女性住職が任命される。
1993年:国際連合が「女性に対する暴力撤廃宣言」を採択する。
1994年:「女性の宗門活動に関する委員会」が設置される。
*女性住職の道が条例により開かれたが、改正された条例が女性住職は特例措置と解釈される内容を持つもので、性差別問題を課題とする人たちから「平等な立場での女性住職の実現」を求める要望書が出されるなどがあり、それに応える形で委員会が設置される。
1.住職就任とそれに関する問題について
2.教導職等、女性の活動分野の促進について
3.女性の教化組織について
の3つの諮問事項が協議される。
1995年9月15日:中国北京で第4回世界女性会議・NGOとなる。フォーラムが閉幕する。行動綱領が採択され、「北京宣言」が発表される。
1996年1月25日:宗務審議会「女性の宗門活動に関する委員会」が答申「住職就任とそれに関する問題・教導職等、女性の活動分野の促進・女性の教化組織」
*「男子である教師がこれを継承する」という条文が「当該寺院又は教会に所属する教師がこれを継承する」と変更され、住職の後継に男女の差異を設けないことになりました。ただし、「卑属系統」という言葉は残り、住職の世襲制の問題は課題化されなかった事が後に指摘されている。
1996年6月20日:儀式指導研究所条例・女性室規定を公示する(7月1日施行)
1996年7月1日:「女性室」が設置される。
1996年12月12日:女性の宗門活動推進のための機関として組織部に「女性室」が開室される。
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2000年6月5日:国際連合特別総会(女性2000年会議)が開催される。
2005年7月1日:「解放運動推進本部職制」一部改正にともない、女性室の事務所管、解放運動推進本部に移管する。
2010年2月:「女性住職の集い」が初開催される。
以上。
宗派の内外の問題を列挙した。宗派内の記述は「女性僧侶・女性住職に関すること」である。宗派外の記述は女性の権利等に関することを中心にした。当然漏れていること、日時や内容が間違っていることがあると思われます(「女性室」の設置が7月なのか?12月なのか?ってことも当然含みます)。
女性初の宗議会議員・参議会議員に関する資料を目にしたことがないので、ご存じの方は教えていただけると助かります。